巴士海峡

エピソード - バシー海峡 ~ 忘れられた25万将兵の御霊

25万人以上の将兵、軍艦、輸送船200隻が今もなお海底に放置

バシー海峡は台湾南東の蘭嶼(蘭島)に隣接する小蘭嶼(小蘭島)とフィリピンバタン諸島(バシー諸島)最北のマヴディス島との間にある海峡を指す。海峡の幅は約100キロメートル、海峡のすぐ東側を黒潮が北流し、その流速は2~3ノットほどである。海峡中間付近の水深は1,500メートル以上ある。フィリピン海と南シナ海を結ぶ交通の要所で、国際通信海底ケーブルが存在し、軍事的にも重要である。

バシー海峡は戦前は、わが国の領海であった。南方の戦場へ行くために南進基地であった高雄軍港から出港した軍艦、輸送船はすべてこの海峡を通過していった。しかし、大東亜戦争末期の昭和19年(1944)には海、空ともにアメリカに制圧されてしまい、通過する日本の輸送船はアメリカの機銃掃射や潜水艦からの攻撃で大打撃を受けざるを得なかった。病院船までが攻撃の対象だったと言われる。結果として25万以上の将兵がバシー海峡の海で亡くなった。

こういう事実があったにもかかわらず、バシー海峡の話は今に至るも伝わって来ない。様々な戦場での勇戦や激戦、満州や樺太・千島列島の攻防、ソ連(現ロシア)によるシベリアでの日本兵捕虜に対する暴虐極まりない処遇と累々たる死者については多くの日本人の知るところであり、国として遺骨収拾をした話や慰霊塔建立の話など伝わって来るが、バシー海峡での惨事については、なぜ伝わってこないのだろうか。

第6次訪問の時、潮音寺での慰霊祭、鵝鑾鼻での献花式を実施した。浜辺で海を見ていると、猫鼻岬の沖合いを、タンカーらしき船が西から東に通過して行った。きっと日本に向けて油を満載しているタンカーなのだろうと思うと、なんともやりきれない思いがした。海上には、今日の日本人の生活に不可欠な原油を運ぶタンカー、その同じ海底には日本のために戦って死んでいった幾多数多のご遺体が…。

これらのご遺体は、現在の多くの日本人には知られていないのである。彼らの殉死の意味はいったい何だったのだろうか。祖国である日本が、日本人の私たちがこの方々のために思いを込めた行動をしないとは、なんとも情けない話である。バシー海峡の25万の将兵も、他の地域で戦死された方々と同じように日本国から顕彰されてしかるべき方々なのだ。戦後73年の今日に至るも、千尋の海深くに放置されたままの英霊の御霊に私たちは思いを馳せなくてはならない。この方々は国に殉じたのである。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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