鵝鑾鼻公園

エピソード - 鵝鑾鼻灯台と鵝鑾鼻神社

鵝鑾鼻公園 〔墾丁国家公園〕

日本人は旅行好きの民族と言われ、日本統治時代の台湾でも各地に観光地が整備された。昭和2年(1926)には、島内最大の新聞社だった台湾日日新報社が「台湾八景」を決めるために公募を行い、大きな話題を呼んだ。

当時は日本領土の最南端。波濤の雄壮もさりながら、何より有名だったのが明治31年(1898)に建造された鵝鑾鼻灯台だった。この大灯台は十円札(台湾発行)や切手の図案にもなるなど人気で得票数も第1位だった。

鵝鑾鼻岬は、太平洋及び南シナ海を分け、南はバシー海峡を隔ててフィリピンと対面し、西側の猫鼻頭と共に南湾を緩く囲む岬である。鵝鑾鼻は墾丁国家公園の一部であり、珊瑚礁石灰岩の地形の上に礁石林などの熱帯性植物の低い樹木によって覆われ、鵝鑾鼻公園として整備されている。

「鵝鑾」は、台湾先住民であるパイワン族の言葉で「帆」を意味する語が訛ったもので、近くに帆の形をした大きな岩「船帆石」があったことから付いたという。

園内は珊瑚礁石灰岩でできた奇岩・怪石・巨礁や洞窟などがあり、常時300種もの熱帯性植物(珊瑚植物・熱帯性海岸植物)が生い茂り、主要なものは名称などの説明看板が設置されている。

鵝鑾鼻灯台と鵝鑾鼻神社

航海上難所であることから、日本、イギリス、アメリカの要望により明治15年(1882)に清国が建設した世界でも珍しい武装灯台である。清国は撤退時にこの灯台を破壊したが明治31年(1898)に日本政府により再建された。しかし、大東亜戦争でアメリカ軍の空襲により再度破壊され、現在の灯台は戦後再建されたものである。「古蹟の灯台」や「東亜の光」と称される台湾で最大出力の灯台で、保存史跡に指定されている。現在は鵝鑾鼻公園に含まれ、周囲は広大な緑地となっており、バシー海峡に面して立つ白亜の灯台で墾丁のシンボルにもなっている。

日本統治下の鵝鑾鼻灯台の隣には鵝鑾鼻神社があったが、アメリカ軍の空襲により鵝鑾鼻灯台とともに破壊され消滅した。日本には通称、鯨神社と呼ばれる神社は多数存在するが、鯨の骨の鳥居を持つ神社は珍しい。かつて鵝鑾鼻に捕鯨基地があったことから鵝鑾鼻神社はその鳥居が鯨の顎の骨で作られている鯨神社のひとつだった。

(文章:五郎丸浩/第19次結団式)

お問い合わせお問合せ