中華民國外交部
- 住所
- 100-0048
臺北市中正區凱達格蘭大道2號 - 電話番号 / FAX
- 02-2380-5389 / 02-2389-6314
- No.
- 29629
- 当初訪問日
- 平成19年11月26日(2007年)
- 訪問実績
- 第18次・第17次・第16次・第15次・第14次・第13次・第12次・第11次・第10次・第9次
エピソード - 中華民國外交部 ~ 日本側窓口は日本台湾交流協会
中華民國外交部(窓口は台湾日本関係協会)
中華民國外交部は行政院に属する外交を司る省庁で、日本の外務省に相当する。地域司の下には大使館や代表處が所属し、各種外交・領事業務に携わっている。台湾日本関係協会(旧亞東関係協会)は中華民國(台湾)の対日窓口であり、台北駐日經濟文化代表處・辦事處の台北本部である。日本との間に国交がないため形式的には非政府機関であるが実質的には中華民國外交部の所管であり、「代表處」は事実上の大使館であり、「辦事處」は領事館である。日本側のカウンターパートナーは、公益財団法人日本台湾交流協会(旧交流協会)である。亞東関係協会は平成29年(2017)5月17日に台湾日本関係協会と名称を変更した。
現在、東京に台北駐日経済文化代表處、横浜、那覇、札幌に分處が、大阪に台北駐大阪経済文化辦事處、福岡に台北駐福岡経済文化辦事處が設置されている。
中華民國外交部との関係は平成18年(2006)の第8次台湾慰霊訪問の旅に始まる。当時、台北駐福岡經濟文化辦事處處長だった周碩穎総領事に中華民國外交部への表敬訪問を勧められたことが契機だ。第8次訪問の折、あいにく日曜日で役所が休日のため総統府國策顧問の方仁惠台日文化經濟協會會長と外交部日本事務会の黄諸侯回部辦事を昼食にお招きした。黄諸侯氏は、台北駐福岡經濟文化辦事處處長として在任の折には、ご夫妻で萩へのバスツアーにご一緒するなど非常にお世話になった。
平成11年(1999)の慰霊訪問団結成以来、歴代の総領事(黄明朗氏・黄諸侯氏・周碩穎氏・曾念祖氏・戎義俊氏)ならびに領事の皆さんには大変お世話になり、団の趣旨を理解され、台湾特別講演会にも多大なご支援を戴いている。なお、平成30年(2018)10月より台北駐福岡経済文化辦事處處長には、陳忠正氏が就任した。
なお、慰霊訪問団結成以降の中華民國(台湾)の総統、福岡総領事館の総領事、日本国総理大臣については以下の通り。
李登輝 | 昭和63年1月13日就任 | 第7代 | 第1次 |
平成2年5月20日就任 | 第8代 | ||
平成8年5月20日就任 | 第9代 | ||
陳水扁 | 平成12年5月20日就任 | 第10代 | 第2次~第9次 |
平成16年5月20日就任 | 第11代 | ||
馬英九 | 平成20年5月20日就任 | 第12代 | 第10次~第17次 |
平成24年5月20日就任 | 第13代 | ||
蔡英文 | 平成28年5月20日就任 | 第14代 | 第18次~ |
黄明朗 | 平成11年1月18日着任 | 第1次~第3次 |
黄諸候 | 平成14年3月6日着任 | 第4次~第7次 |
周碩穎 | 平成18年1月30日着任 | 第8次~第11次 |
曾念祖 | 平成22年7月16日着任 | 第12次~第14次 |
戎義俊 | 平成25年3月29日着任 | 第15次~第19次 |
陳忠正 | 平成30年10月17日着任 | 第20次~ |
小渕恵三 | 平成10年7月30日就任 | 第1次 |
森 喜朗 | 平成12年4月5日就任 | 第2次 |
平成12年7月4日就任 | ||
小泉純一郎 | 平成13年4月26日就任 | 第3次~第7次 |
平成15年11月19日就任 | ||
平成17年9月21日就任 | ||
安倍晋三 | 平成18年9月26日就任 | 第8次 |
福田康夫 | 平成19年9月26日就任 | 第9次 |
麻生太郎 | 平成20年9月24日就任 | 第10次 |
鳩山由紀夫 | 平成21年9月16日就任 | 第11次 |
菅 直人 | 平成22年6月8日就任 | 第12次 |
野田佳彦 | 平成23年9月2日就任 | 第13次・第14次 |
安倍晋三 | 平成24年12月26日就任 | 第15次~ |
平成26年12月24日就任 | ||
平成29年11月1日就任 |
※総統4人(4政権)6期
総領事6人(総統6期に対応)
総理大臣9人(10政権)15内閣
※わが国・日本の行政府がこれだけ目まぐるしく交代(世界一)しながらも、国内が安定し、国際的信用が担保できているのは何故だろうか。それは、2,600年以上続く皇統をいただく天皇陛下の存在を抜きにしては考えられない。「皇室典範」を法律とし、憲法体系の下(した)に位置づけた戦後体制のいびつさを、「典憲」として皇室典範を大日本帝國憲法の前(まえ)に位置づけた明治国体の形に戻すことが正常で、世界標準といわれる所以である。
(文章:五郎丸浩/第20次結団式)