臺中市日本文化協會

エピソード - 台中市日本文化協会 ~ 台日交流聯誼会(台中会)

台湾と日本の草の根交流サークル

現在の台中市、台中県、彰化県、南投県は昭和20年(1945)以前は「台中州」と呼ばれていた。この台中州にゆかりのある人たちで平成11年(1999)9月21日の震災直後の10月に結成されたのが台中市日本文化交流協会である。前身は日本語サークル「日本語聯誼会」であり、これに台日交流に関心を持つ人達が加わり、草の根による台湾と日本の懸け橋になるべく台中会(現・台日交流聯誼会)が結成されたのである。

その世話役が喜早天海氏である。氏は平成7年(1995)当時、日本語の先生をしており、そこで日本語を勉強していたメンバーが、もっと日本人と親交を深めたいということで結成されたのが「日本語聯誼会」なのである。その繫がりは台湾の中だけでなく、インターネットを通じて日本にも広がり、現在会員は80名以上に上り、「寶島台湾」など多くの本を出版している。

慰霊団との関わりも深く、訪問の折には交流会や孔子廟の案内などで交流を深めて来た。また、平成16年(2004)3月15日に、台湾の同胞の皆様にライセンスメイトを送付したが、その際『陳水扁総統の再選を祈念します』なるアピールを同封したところ、この手紙を入手された「台中会」の鐘子桓氏、魯英杰氏、日本人の黒田絹代さんの3人が平成16年(2004)4月29日に突然、事務局を来訪された。3人はアピールについて感謝の言葉を述べられた後、記念にと「限定500本」という10年ものの紹興酒を置いていかれた。陳総統ご夫妻の学生時代の写真が鮮明に焼かれた陶器に入っており、感謝に堪えなかった。「義理に厚い台湾人(本省人)」を目の当たりにした思いであった。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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