何怡涵・陳清華ご夫妻

エピソード - 何怡涵・陳清華ご夫妻 ~ 慰霊訪問団の名ガイド

慰霊訪問の旅を支えるご夫妻

台湾慰霊訪問の旅にとって、何怡涵・陳清華ご夫妻は最大の功労者である。鹽水國民小學、八角樓、奇美博物館、南天山濟化宮など現在も交流の続く訪問先は、ご夫妻のご紹介によるものである。

何怡涵氏は台南師範学校の出身である。台南師範学校は台湾教育の原点で、ここで教育の原理と心理を教えられた教師が台湾全土で活躍し、日本精神を広めていった。陳清華氏もまた、その経歴、名誉職は日本語教師等、名刺からはみ出る位であり、台湾語、日本語、中国語を完璧に操る。清華氏は大日本帝國陸軍の従軍看護婦となり活躍した経験を持つ。日本が敗戦してから「台湾籍」ということで日本から切り離され、名前も政府の都合で何度も変わり、心の葛藤があったと言う。

清華氏は台南の旅を、明るく流暢な日本語でガイドしてくれた。彼女の一言一言にうなづき、時として目が潤むこともあった。その言葉に拍手を送り、バスの中はいつまでも暖かく包まれていた。また、慰霊訪問の旅の企画に同窓生である奇美実業の許文龍氏を紹介してくれた。

そんなお人柄から、平成17年(2005)11月5日来福された際には多くの団員が集まり、盛大な歓迎会が開かれた。「いつまで生きていられるか判りませんが、生きている限りこの交流を続けていきたい」という言葉が胸に詰まる思いであった。

ご夫妻には、平成15年(2003)の第5次訪問から第12次訪問の8年間、毎年欠かさず歓迎会を開催して戴いた。歓迎会には台南縣政府の縣長や李登輝友之会の黄崑虎総会長が同席される等、ご夫妻の人脈の広さに驚くばかりであった。毎月のようにお手紙を戴き、また台湾でのニュースなど新聞、雑誌等の切り抜きを送って下さり、慰霊訪問の旅の企画に多大な貢献をして戴いた。

台湾の靖國神社と呼ばれる南天山濟化宮を知ったのも、実は、陳清華氏から送られてきた新聞記事からであった。早速、九州不動産専門学院でアルバイト中の台湾からの留学生の呂宛真さんに翻訳してもらい、まさに、「台湾の靖國神社」にふさわしい内容であったので、平成18年(2006)の第8次訪問で初めて訪れたのである。

20年の歳月を経た現在、ご夫妻が撒かれた交流の種は確実に根を張り、台湾慰霊訪問の旅を支え続けて下さっている。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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