蕭興從先生

エピソード - 蕭興從先生 ~ ご英霊に導かれて

慰霊式と君が代が開く運命の扉

第1次訪問の時である。花蓮から日月潭に移動する時、バスは太魯閣峡谷を通った。標高2000メートル以上のルートだが、そこで私たちのバスがガードレールを突破し、あわや全員谷底へ・・・という事故を起こした。人里離れた高地での事故で、なす術もなかったが、その後偶然通りかかったクレーン車に引き上げられて何とか日月潭までたどりつくことができた。バスはもう使いものにならない。そこで代替バスがやって来た。そのバス会社の社長が蕭興從先生だったのだ。氏は台中で朝日バスという会社と同時に保育園を経営しておられ、その時日月潭まで私たちを迎えに来てくれたのが氏の息子さんの運転する代替バスだったのである。

私たちは事故の翌日、台中の宝覚寺の日本人墓地で予定通り慰霊式を実行したが、私たちの歌う「君が代」をバスの運転席で待機していた息子さんが聞いており、お父さんに「仲間の人が来ているよ」と報告されたらしいのだ。戦友会の人が来ている、そう思われたのだ。

太魯閣峡谷で事故に合わなかったら代替バスには廻り合わず、代替バスに廻り合わなかったら、その若い運転手さんともご縁がなく、慰霊式を行わず、君が代を斉唱しなかったら息子さんはお父さんに報告すらしなかっただろう。

息子さんから報告を受けたお父さんの蕭興從先生はその後、小菅団長に11月25日の例大祭のご案内をして下さった。そして、ここから台湾慰霊訪問の旅の運命の扉が開かれることになるのである。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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