蘇欽淵先生

エピソード - 蘇欽淵先生 ~ 臺灣中日海交協會の大黒柱

霊安故郷碑建立に奔走

大東亜戦争で当時の祖国であった日本を守る為に、台湾人元日本兵軍人軍属21万7千人は、南方の戦場で海に陸に、凄惨な激戦に参加し勇戦奮闘した。その中で武運拙く3万3千余名が散華した。亡き戦友の英霊を心安らかに懐かしい故郷台湾に安置し、慰霊祭を行うことが台湾戦友会の悲願であった。

台湾中日海交協会(故楊涯清会長)は英霊顕彰を重視し、平成2年(1990)9月に花蓮に出向き(同行者:、副会長蘇欽淵、顧問張子涇、宝覚寺総幹事陳平関)、慰霊碑の石を探し出して購入。即時、台中宝覚寺に運び「霊安故郷碑」建立を開始し、慰霊碑建立の理解と協力を求め関係機関を奔走した。その結果、日台両国の戦友会の協力・支援を得て、ついに念願の慰霊碑が完成。碑には李登輝元総統が「霊安故郷」と揮毫した。そして同年11月25日に落成式(慶成典礼)が盛大、厳粛に挙行され、以後この日が例大祭と定められたのである。

楊涯清会長の後を引き継いだ蘇欽淵氏は、民間外交、文化交流の発展にも熱心で、日本海交会全国連合会、財団法人海原会、予科練全国甲飛会、東京甲飛会、日本郷友連盟、日華親善友好慰霊訪問団等20余団体と日台相互の交流を深め、偉大な英霊顕彰事業を成し遂げたのである。

以下、平成15年(2003)8月8日に行われた蘇欽淵会長の葬儀での小菅団長の弔詞を記す。

『臺灣中日海交協會』会長 蘇欽淵 様の訃報に接して

この度の訃報に接し唯々驚いている次第です。平成11年の11月25日に初めてお目にかかって以来、私にとって臺灣中日海交協會とは蘇欽淵会長そのものでした。臺中市寶覚寺で毎年斎行されます「大東亜戦争元臺灣日本軍人軍属戦没者大慰霊祭」では、日本より訪れます私ども日華親善友好慰霊訪問団をまごころ尽くして迎えて下さったことや、共に軍歌を歌ったこと等が今、懐かしく思い出されます。また、家内と娘ともどもお世話いただき、家族同様の接し方をしていただいた事がまるで昨日のようです。

大黒柱を失った協會にとりましては再建は急務の課題であると思われますが、胡順來新会長をはじめとする後続の皆様が重責を担われ会長のご遺志を継承していかれることでしょう。私ども日華親善友好慰霊訪問団は生前の会長のお言葉をしっかりと胸にいだきつつこの事業を更に推進させ、日臺両國の國民同士の絆の強化と國交の回復に全力傾注していく所存です。

最後になりましたが、蘇欽淵会長のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

原臺灣人元日本兵軍人軍属3萬3千余柱の御霊に永遠の平安がありますように!

蘇欽淵会長 万歳!
臺灣中日海交協會 万歳!
天皇陛下 万歳!

平成15年8月6日

日本国 福岡

福岡市中央区天神1丁目3番38号
日華親善友好慰霊訪問団
団長 小菅亥三郎

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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