許國雄先生
エピソード - 許國雄先生 ~ 台湾に生きる日本精神との出会い
日本人以上の日本人
平成11年(1999)3月に初めて実行した第1次訪問の際、顧問の福岡県郷友会理事長の日高清氏から「台湾に行くなら絶対この人にだけは会っておきなさい」と言われ、紹介状を持っていった。許國雄博士は台湾南部の高雄で東方学園(当時は東方工商専科学校/日本の短期大学に相当)という私立の大学を創設され、李登輝総統の時代に行政院(内閣)僑務顧問の立場で非常に力を発揮された方である。
日本人以上に日本を知っている台湾の人は多い。許國雄博士はその第一人者といってもよい。常に明るく、国家も個人もすべてを生かしてゆくのが博士の哲学である。その発言はウイットに富み、独創的でダイナミックである。接しているだけで不思議な親和力を与えられる。
大正11年(1022)生れで、旧制高雄中学校から九州高等医学専門学校(現・久留米大学医学部)を卒業、学位は日本で取得。戦後は波瀾万丈の苦難を経て日本の国会議員に相当する立法委員在任14年、台湾省教育界理事長や国際汎太平洋私学教育連合会副会長を歴任。平成14年(2002)5月20日に80歳の天寿を全うされた。
私たちが、この学校を表敬訪問させて戴いた時、びっくりすることがあった。それは、「日本間」というものがあり、そこに「教育勅語」が掲げてあったのだ。伊勢神宮や靖國神社はいわずもがな、わが国の主要な神宮・神社は殆どといっていいほど参拝しておられた博士は、日本時代の若い頃は神職になりたかったそうである。
アメリカの国内法規ではあるが、「台湾関係法」というのがある。この法律でもって、彼らは第7艦隊による台湾周辺の警戒を行っている訳だが、それを締結させた立役者が許國雄博士なのだ。
私たちよりはるかに日本人であられた博士は、第1次訪問の際、午餐会の席上で「台湾と日本は正式に国交はないが、深く大きな地下水脈でしっかりと結ばれている」「両国国民は昔から家族であり、兄弟であった」とご挨拶された。「私は大和神社、大和文庫を作るんだ」と公言してはばからない博士。台湾には日本人以上の日本人がおられることを知ったのである。
(文章:五郎丸浩/第20次結団式)