東方工商專科學校

エピソード - 東方工商専科学校 ~ 台湾最初の日本語コース開設

日本では見られないものが温存される不思議な学校

高雄市と台南市のほぼ中間に位置する湖内郷にある東方工商専科学校(東方技術学院/現在の東方設計大学)は、日本の学校にないものが温存される不思議な学校(短大)である。名前のように、工業、商業に関する学科があるのは勿論だが、他にも美術工芸、観光事業、応用外国語、更に別に日本語科がある。日本語科は台湾初の設置である。私学であるだけに、創設者で学長の許國雄博士の縦横の才幹によるのだが、注目すべきはこの学校を拠点にして、東アジアの文化交流を推進すべく、東方国際文化関係機構の中に「国際交流研究所」を設けていることだ。

キャンパスに入るとすぐ目につくのが「東方瑞竹」である。周囲を柵で囲んだ蓬莱竹の一叢が、5メートルほどの高さに伸びている。この竹叢がなぜ「瑞竹」と名付けられたのか。そこに日台の秘話がある。

大正12年(1923)4月のことである。昭和天皇が摂政の宮の時、高雄にまで足をのばされた。高雄の隣地・屏東にも行かれる予定だったが、その時、伝染病が蔓延していた。ところが陛下は「そこも我が地、我が民がいる」と言われ、ご訪問が決まった。感激した屏東の住民は嘉義の山から大竹を9本切ってきて、それで天幕の柱を作った。4月22日、屏東では家々に国旗を掲げてお迎えした。陛下が帰られると、もともと枯れていた9本の竹から新芽が吹き出し、やがて竹林となった。人々はこれを「瑞竹」と名づけた。瑞竹は戦後も拡がり、許博士は株を分けてもらって、自校の校庭に移植しているのである。

また「新世紀綜合大楼」と名づけられた白亜の中央校舎の10階には、日本間と中国間と洋間の3つが並存している。これらは観光事業科の教材として使われている。その中の日本間には、日本の精紳伝統のエキスが集約さている。入り口には「さざれ石」が置かれ、床の間には伊勢神宮の掛け軸と神棚が置かれ、その前にはフィンランド産の「東郷ビール」と、那須の乃木清水が醸造する日本酒「乃木之誉」が供えられている。そして向かいの壁には、「教育勅語」が掲げられている。

日本の教科書では「卑弥呼」は教えても「天照大神」は教えず、「教育基本法」は教えられても「教育勅語」は国会で排除失効決議が行なわれたままである。許國雄博士は「日本精神のエキスを学生に教えておかなければ、日本を知らせることにはならない」と言われた。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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