都城隍廟(新竹)

エピソード - 新竹城隍廟

屋台と一体化した道教のお寺

新竹の都城隍廟は道教のお寺です。あの世の地方官僚(裁判官)に当たる城隍神がいます。城隍信仰は自然崇拝からはじまったもので、「城」は城壁を「隍」は堀を意味します。それが、城を守る神に変化し、政府にも民間にも広く祀られるようになったのです。城隍爺の身分は県長、市長といったところで、無縁仏の供養(あの世)の統括、表には出せない民の苦悩の査察、所轄地域の管轄といった権限と職責が与えられています。この世の行政機構を反映しているため、当該地域の格によって、省城隍・府城隍・県城隍に格付けされています。新任地に入った行政長官は必ずこの城隍を参拝してから着任するしきたりがあり、大変重視されていました。

新竹都城隍は乾隆13年(1748)に当時台湾北部を管理する地方行政機関の「淡水庁」知事の曾日瑛によって建立されました。これまで7回の改修記録があり、先に廟が出来、その周りに街が出来た台湾でも珍しいものです。最後の改修工事は大正13年(1924)に行われこの時、古い廟の全てを取り除き新築されました。中国本土から優れた職人を招いて工事を行ったそうです。

光緒元年に台北に、府が設けられ、その府が一時的に新竹に置かれたことから府城隍となり、当時は参拝者が後を絶たず、北港媽祖廟より美しかったので「新竹の城隍爺、北港の媽祖婆」と讃えられました。光緒11年(1885)、台湾は正式に省を設け、劉銘伝が初代巡撫(地方官吏)となり、台中に省都を置きますが、巡撫の役所は台北にありました。光緒13年(1887)、雨乞いの霊験があらたかなことから「金門保障」の額を受領し、この廟は重要文化財になります。翌年、台湾全土の官民が新竹城隍廟で護国加護、厄除け祈願の神事を行ない、これが全省あげての神事だったことから新竹城隍廟は崇高な地位を確立し、全台湾で最高の神格を持つ城隍爺となりました。

城隍廟の建築構造は一般の廟と殆どかわりませんが、その役割の違いから廟内の雰囲気は大きく違い、薄暗く刑具がずらっと並び、対になった書には人々への警告が書かれています。廟内に踏み入ると背筋がゾッとします。薄暗く不気味な空間は、あの世とこの世を威嚇し善悪を諭す効果満点です。

現在、廟は屋台に囲まれているので外からみることは出来ません。屋台の入り口の目前には当時の歓曦門(東門)が残っています。

(文章:五郎丸浩)

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