陳惠美

エピソード - 元従軍看護婦 陳惠美さん

終戦後の風化で薄れゆく、台湾人と日本人の心の繫がり

台湾が日本国土であった時代の昭和2年に生まれ、日本の教育を受け秩序規律の厳然とした社会環境で育った陳惠美さんは、祖国日本が存亡の危機に立たされた昭和前半の真只中、日本人として日本を愛し、日本を護り続けなければとのは迸る思いで従軍看護婦を志願します。

私たちと陳惠美さんの出会いは第2次訪問(平成12年)の宝覚寺での慰霊祭の時でした。そして翌年の第3次訪問の折、出版されたばかりの『台湾人従軍看護婦追想記~すみれの花が咲いた頃』を戴きました。それは、台湾に生まれながら志願して従軍看護婦になり、祖国日本のために戦地に赴き、終戦後、心ならずも中国人にさせられた陳惠美さんの一身にして二つの国を生きた体験記でした。

今を去る74年前の大東亜の大戦中、台湾出身者に、南支派遣陸軍従軍看護婦という名の職籍があり、中国大陸南部の広東第一陸軍病院に派遣されました。すみれの花のように可憐で純真無垢な台湾の乙女が、自ら志願しまで看護婦として過酷な任務を全うしたその心根には感動させられました。そして、当時の状況を手にとるように書き記して世に残そうとするその心情と努力に脱帽せざるを得ませんでした。

学校を出たばかりの二十歳前の純真な乙女たちが数百人、しかも殆どが親の反対を押し切って、自ら志願し、只お国のため、戦争で病んでいる傷病兵看護のため、その情熱だけで従軍したけなげな姿。想像しただけで目頭が熱くならない人間がいるでしょうか。

世の中には、数々の戦記がありますが、彼女の著作は、ごく一部の戦争の事実ですが、戦後の風化で薄れゆく、台湾人と日本人の心の繫がりが絶えることがないよう、この物語りを語り継いでいかなければなりません。

たちは陳惠美さんがお元気なうちに沢山のお話を伺っておきたいと願っています。

(文章:五郎丸浩)

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