霊安故郷碑

エピソード - 台湾戦友会の悲願~「霊安故郷碑」の建立

霊安故郷碑と英魂観音亭

台中市にある宝覚禅寺は別名「台湾の靖國神社」と呼ばれている。なぜなら、この宝覚禅寺の境内に「霊安故郷」と刻まれた慰霊碑が建立されているからだ。平成2年(1990)に建立された慰霊碑に刻まれる「霊安故郷」の文字は李登輝元総統の筆による。ここには大東亜戦争で散華した台湾出身元日本軍人・軍属3万3千余柱の英霊が厳かに祀られている。

この慰霊碑の建立前、台湾には国府軍の戦没者を祀る「忠烈祀」は全島各地に存在したが、台湾出身元日本軍人戦死者は、日本の靖國神社にこそ祀られてはいたものの、祖国である台湾にはこうした英霊を祀る慰霊碑は皆無であり、戦後長く続いた戒厳令下に於いて、この慰霊碑建立は、台湾の戦友会一同の悲願であった。やがて、昭和62年(1987)の戒厳令解除を待って、台湾戦友会は本格的に動き出す。日本の戦友会の協力も得て、台湾戦友会「中日南星会(陸軍)」、「中日海交会(海軍)」の2団体を中心として、平成2年(1990)11月25日、「英魂観音亭」を建立。因みにこの英魂観音亭の文字は終戦時の陸軍中将・有末精三氏の揮毫によるものであり、その隣に前述の「霊安故郷碑」が建てられた。

この慰霊碑の建立に奔走したのが陳棟氏(故人)と鄭春河氏(『嗚呼大東亜戦争』著者)等である。彼らは慰霊の碑石を求めて花蓮市に足を運び、高さ3.5m、幅1.5m、厚さ1mの石筍を探し出した。

霊安故郷碑建立縁起

靈安故郷慰靈碑

此の慰靈碑は大東亞戰爭当時の台湾青少年が天皇の赤子として、勇んで大東亞聖戰の勝利を信じつつ、日本の國難に若き尊い命を捧げて散華された3萬3千余柱の元日本軍人軍屬台湾同胞戰歿者の諸英靈を、台湾と日本の海交會は其の大和武勇遺魂を靖國神社より故郷の台湾へ奉祈なされ、台湾並びに元日本軍人軍屬戰友、日本全國各海交會、及び日本全國有志団体協贊の基に、此處台中宝覺寺境内に戰歿者の遺靈を靈爾簿と共に奉安されて居り、前大統領李登輝閣下の御敬題に依る慰靈碑であります。

靈安故郷は(英靈よ、故郷に安らかに眠り給え)、英魂碑は亡き戰友の忠義と遺勲事蹟を永久に銘記すると共に遍く先人の大和武勇を讚えて鎭魂を子孫への顯彰に努めるのが生ある我等台湾台日海交会の責務であると存じます。

英魂碑の參拜に台湾戰友は日日はもとより、たまたま日本からの觀光友人も挙ってご參拜祈祷をして下さいます。そして毎年春秋の例祭には嚴粛且つ盛大なる慰靈祭式典を行ひ、殊に11月25日の定期慰靈祭には日本各地海交會及び友会、海原会、日華親善友好訪問団、台湾報恩期成會他有志数百名が遥々日本より御臨席參列下され、並びに御丁重なる御弔辞及び御懇切なる挨拶と協力支援はこれ偏へに、諸英靈の犠牲の上に注がれる御慈愛と御加護の賜物であると信じます尚、隣に鎭座する「和平英魂觀音亭」は陸軍縁りの南星会に屬し、正面には日本陸軍中將・有末精三閣下94歳の直筆。和平英魂觀音亭は日本國製青銅聖觀音立像を中心として佛式佛殿形式としてあります。

願はくば今後共、台日兩國の絆を尚一層固く結び益々交流を深める事が諸英靈に報い致す事と固く信ずるものであります。(台灣台日海交會 元會長 林德華)

(文章:五郎丸浩/第19次結団式)

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