第16次 帰朝報告

期間:平成26年11月22日(土)~11月26日(水)

参加者:48名

11月24日(月)

この日の最初の訪問先は高雄の保安堂です。8時30分という早い時間にもかかわらず、趙麗恵さんをはじめ大勢の地元の方、それに高雄市旗津区の謝水福区長が快く出迎えて下さいました。一昨年の暮れに落慶式があったばかりの新しい廟で、国旗敬礼、国歌斉唱、黙祷、献花と慰霊式を斎行した後、茶菓のおもてなしを受けました。 ホテルで朝食を摂った直後でしたので、残った果物等をお土産にバスに積み込んで下さり、温かい心配りに感謝しました。また、地元テレビ局の取材もあり、慌しく次ぎの訪問先へ向いました。

高雄市ガス爆発事故の義捐金と法名簿を手渡し

保安堂の後、謝区長、趙さんも同行して高雄市政府を表敬訪問しました。あいにく陳菊高雄市長が5日後に選挙が控えているため、代わりに李永得副市長と張乃千社会局長のお二人が対応して下さいました。この席で小菅団長が、東日本大震災の際の台湾の皆様から破格の支援に謝意を表すると共に、先の高雄市のガス爆発事故に対するお見舞いの言葉を述べ、訪問団有志による義捐金と法名簿を手渡ししました。これに対して李副市長から丁寧なお礼の言葉があり、友好の絆がより強固になったと確信しています。貴賓室での会見が終わった後記念写真を撮影して、お暇乞いをして、次に飛虎将軍廟へ向かいました。

杉浦兵曹長の出身校の学校要覧を寄託

廟に到着すると、廟の作法に従って儀式が執り行われ、杉浦茂峰兵曹長以下三柱に慰霊の誠を尽くしました。この日と翌日の宝覚寺での慰霊祭のために東京からわざわざ来られた甲飛喇叭隊第11分隊の原知崇さんが慰霊の喇叭を吹かれ追悼に重みが加わりました。また、杉浦兵曹長の出身校が現在の茨城県水戸市立三の丸小学校である ことが判明そましたので、かねてから出身校との交流を希望しておられた安慶國民小學の黄俊傑校長に、三の丸小学校の竹内修校長から預かった卒業生であることの証明と学校要覧を託しました。今後、両校の交流が深まることを希って望います。

森川巡査の霊が降臨

飛虎将軍廟での歓待の後訪れたのは嘉義縣にある富安宮です。第14次訪問の時まだ建立中だった新廟が完成して煌びやかな威容が目を引きました。ここで2泊3日の乙プラン組の3名と合流。早速、義愛公の前で慰霊式を斎行し、持参した靖國神社御霊祭りの提灯を奉納して義愛公の遺徳を偲びました。丁度、御祭神の森川巡査の降臨の儀式があるということで、霊をお呼びする光景を目の当たりにしました。日本語を知らない初老の男性が時々「アリガトウ」と発する声が聞こえ、森川巡査の感謝の念を代声しているのだと感じ、不思議な想いにとらをわれました。

後ろ髪を引かれる思いで富安宮を後にした一行は、一路台中を目指しました。18時30分開会予定の台湾台日海交会主催の歓迎夕食会会場へ着いたのは45分遅れの19時15分でした。海交会の皆さんの拍手の中、会場の席に着きました。懐かしい方々との再会を喜び合い開会となりましたが、簡朝陽会長が「夕食会は今回が最後で、来年から昼食会に切り替える予定である」と話され、高齢者が多い現状ではやむを得ないだろうと推し測りました。続いて小菅団長が、到着が遅れてしまったことを先ずお詫びした上で、毎年欠かさず慰霊祭を実行され続けておられることに敬意を表し、今後も継続されてゆかれることに協力してゆきたいと決意を表明して、乾杯に移りました。各テーブルで一年ぶりの再会に話が弾み、またカラオケや軍歌で大いに盛り上がり、心の底から旧交を温めました。宴たけなわの中、明朝の宝覚寺での再会を約してお開きとなり、宿泊先の全国大飯店で深い眠りに就きました。

(文責:原田和典)

帰朝報告の系譜

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