臺日友好協會

エピソード - 台日友好協会 ~ 台湾中日海交協会 胡順來氏の遺志を次代へ継承

若い世代への志の継承が急務

中華民國には、国民党政権のために戦死した人々を祀る「忠烈祠」は各地にあるが、大東亜戦争を志願して戦死した人々は、東京の靖國神社には祀られていたが、台湾では祀られていなかった。どうにかしたいということは、戒厳令下にひっそり集まっていた戦友会の久しい願望であった。

そこで昭和62年(1987)、戒厳令が解除されたのを機に、大東亜戦争で戦死した原台湾人元日本兵軍人軍属3万3千余柱と、台湾住民で戦争の犠牲者となった人々の霊を祀る事案に取組んだ。場所は台湾の中央に位置していて、住職も理解がある台中市の宝覚禅寺を選んだ。日本の戦友会にも協力を呼びかけ、「中日南星会」(陸軍関係)と「中日海交会」(海軍関係)が中心となり、平成2年(1990)11月25日、有末精三氏(戦時中、陸軍中将)の筆になる「英魂観音亭」を建立し、その側に李登輝総統の筆になる「霊安故郷」の碑を建てた。

この日以来、毎年11月25日に日本の戦友会(海原会や海交会等)からも多くの戦友たちが宝覚禅寺に集い、2つの団体を継承した形の台湾中日海交協会(胡順來会長)を中心に約100名程の慰霊祭が盛大に行われてきた。しかしながら、戦後73年を経た現在、元軍人軍属の皆様も多くが鬼籍に入られ、残された方々も高齢となり、参列者も年々少なくなっている。日本からの参列者も私たち慰霊訪問団の団員のみとなり、主催団体も現在は台灣台日海交會が中心となって行っている。今では慰霊訪問団が慰霊祭の柱であり、杖であり、このままだといつまで慰霊祭が続けられるかという懸念もあるため、日台双方とも「若い世代への志の継承」が急務の課題となってきている。

第2次慰霊訪問時からの恒例行事として、宝覚禅寺での原台湾人元日本兵軍人軍属大慰霊祭の終了後、直会いとして台湾中日海交協会より歓待を受け、懇親を深めていたが、平成26年(2015)8月、胡順來会長の死去に伴い、台湾中日海交協会の活動も休止され、懇親会も開かれていない。

台日友好協会の設立

台湾中日海交協会の活動休止により、胡順來会長の遺志が途切れることを憂いた林春牧氏、何月桂氏、謝金梅氏らを中心に台湾中日海交協会の存続について協議が重ねられた。その結果、新しく何月桂氏を会長に「台日友好協会」(日台友好の絆)として再出発することが議決された。2年間途切れていた慰霊団との交流を再開し、若い世代を迎え、台湾と日本の絆を末永く続けていくことを願っている。第20次の今年は、恒例の懇親会も復活し、新体制となった「台日友好協会」との交流会が待ち遠しい。

(文章:五郎丸浩/第20次結団式)

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