第19次 海明禪寺 祭文
『日華(台)親善友好慰霊訪問団を代表し、白団団長・富田直亮将軍の御霊の御前にて謹んで祭文を奏上いたします。』
今を遡ること68年前の昭和24年9月10日、高輪の小さな旅館で元帝國陸軍将校と中華民國政府関係者等の間で秘密の会合がもたれました。かつては敵国であった蒋介石率いる國民党軍を助けるため、原日本人による軍事顧問団「白団(ぱいだん)」が結成された歴史的な日です。
戦後、帝國陸海軍は解体され、外交権を失ったわが国は、アジア諸国の将来さえわからない状態でした。そんな状況下で国家の枠を超え、アジア再興のために尽力した元帝國陸軍軍人たちがいたことを私達は決して忘れてはいけません。
この時、支那大陸では毛沢東率いる共産党軍と蒋介石率いる國民党の戦い(国共内戦)が続いていました。共産党軍は各地で國民党軍を破り、國民党政府が大陸喪失の危機に瀕していました。かくなる状況下で國民党は台湾に進攻し、同年12月には政府機構も台湾に移転して台北市を中華民國の臨時首都としました。
共産党軍に敗北して台湾に逃れた蒋介石は、軍隊を再建し捲土重来、大陸反攻を実現するには國民党軍を日本軍に改造するしかないと考えました。その蒋介石が連絡をとった相手はかつての支那派遣軍総司令官・岡村寧次でした。岡村元大将は蒋介石に恩義を感じていたため、すぐ実行責任者として富田直亮・元陸軍少将を選び、その年のうちに富田少将以下十数人の元帝國陸軍将校がひそかに台湾に渡りました。こうして富田団長の偽名・白鴻亮の一字をとって「白団(ぱいだん)」が誕生し、約20年に亘って、中華民國國軍を指導していくことになりました。彼らは単なる将校ではなく、陸軍大学の教官経験者等のエリート軍人であり、「軍事は思想から」と台湾人将校に日本軍の思想から戦略・戦術・用兵・訓練などを日本式で指導しました。
そして、昭和33年に中共が台湾政権下にある金門・馬祖の二島を砲撃した「金門島事件」では、実際に白団教官たちが防衛戦を助言(指導)し、その戦いを勝利に導きました。彼らの働きがなかったら、台湾はその時赤化されていたに相違ありません。したがって現在の台湾軍(中華民國國軍)の上層部はすべて白団教官の薫陶を受けていることになります。ひるがえって米軍から指導されたわが国の自衛隊は、遺伝的に台湾軍の兄弟と言えるのか甚だ心もとない限りです。
私たちは、平成11年以来、台湾における原台湾人元日本兵軍人軍属戦没者、ならびに台湾各地に祀られる日本人の御霊の安らかならんことをお祈りしてまいりました。
半世紀に及ぶ日本統治が戦後72年の今日に至るまで脈々と生き続ける台湾。この「生命の絆」を守り育て後に続く人に正しく継承していくことが、先達から託された崇高な使命です。私たち訪問団はこの「日台の魂の交流事業」の中に日台同胞の鎮魂をしっかりと位置づけ、今後も、この顕彰事業を風化させることなく、更に充実・拡大し、次世代に継承していきます。それはこの道こそが「護国の防人として散華された日台同胞の英霊」にお応えする務めであるからです。
以上の決意も新たに、わが国の近代史に比類なき勇気と献身を刻まれた英霊のご遺徳を偲び、御霊の平安を心より祈念し、慰霊の言葉といたします。
日台の生命の絆 死守せむと
吾 日本の一角に起つ
平成29年11月22日
民國106年
皇紀2677年
日華(台)親善友好慰霊訪問団
団長 小菅 亥三郎